寛容であれ

人間は、その不完全を許容しつつ、愛し合うことです。
不完全であるが故に退け合うのではなく、人間同士が助け合うのです。
他人の行為を軽々しく批判せぬことです。
自分の好悪の感情で、人を批判せぬことです。
善悪のいずれか一方に、その人を押し込めないことです。

(吉野弘)

 

年齢を重ねるにつれ、多少は寛容になってきたかなと思うことはあれど、まだまだ足りない。

 

人をそのまま受け止めることの難しさは、死ぬまで続くのだろう。

 

『善悪のいずれか一方に、その人を押し込めないことです。』

 

自分が正しい、あなたは間違っている。そんなジャッジを私たちも日々たくさんしているが、それは本当に必要なのだろうか?

 

自分の正しさを証明したいという感情はそもそもどこからくるのだろう?

 

特に大きな影響がなければ、ムキになって証明することなんかないのに。

 

打ち負かす、やり込める、ことなしに助け合うこと。助け合うことが念頭にあれば、そもそも正しさを押しつけることはしないはずだ。

 

考え方の違う他人同士が、助け合う。

 

ただそれだけでいいのだよなぁ。

 

 

二人が睦まじくいるためには

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贈るうた

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