二人という単位
この人もいい。あの人もいい。他にも素敵な人が現れるかもしれない。1人になんて決められない。それがいけないことなのかな?
思いっきり正直な彼女に、ポカンと開いた口がふさがらない。でもなぜか痛快だった。言い切るねぇ。だったら俺に相談なんかするなよw
感情が暴走して理性の景色は流れて見えなくなる。暗がりの中でもすぐにスイッチの場所がわかる。坂道を駆け下りるようにたくさんの相手に飛び込んでいく感じ、すごく懐かしい。
しかしそんな恋愛は若いうちの特権であるような気がする。
希望と無軌道さはセットだ。これから世界に飛び出そうとしているのだから、息巻いて、つんのめって、カラ回ったまま前進するエネルギーに調和はいらない。道中、その時々で最適で最高なパートナーがいればいいのだろう。
そんなことを思いつつ、山口路子の本をパラパラめくっていると、次のフレーズに出会った。
二人でほぼ一人の人間となる根本的な関係というものがときとして存在する。そんな関係の人間が『われわれ』と言うとき、それは『きみ』と『ぼく』という複数の人間を意味するのではなく、まさに『われわれ』としか言いようのないものだ。(J・P・サルトル)
上の引用にあるように『われわれ』というのはもはや一人の人格である。
『君と僕は二人で一人だ。だから絶対に離れることはないんだよ。』
若い頃にも似たようなことは言ってただろう。歯の浮くような甘いセリフ。熱にうなされた未熟な恋人たち。
『われわれ』には価値観の相違が大きく関係している。恋愛の上澄みの美しい部分を通り抜けて、奥へ奥へと進んで行った先にあるもの。
年月が作り上げた習慣、自分のコアになる考え方、譲れない部分、生活に対するスタンス…
個人のより深い領域で共感し合うこと。できるできない、ではなく、認める・支持することも含めた賛同。
『わたし』と『あなた』とその他、ではない。
『われわれ』とその他。
『二人という単位』をどこまで世界の中心におくのか。この単位で世間と闘っていく覚悟があるのか。そして『二人で一人』のままで幸福を追求できる確信があるか。
恋愛には人それぞれ考え方があるだろうが、今の自分は『二人という単位』でどこまで走っていけるのか、それだけに興味があるのだと思った。
特に深刻な事情があるわけではないけれど 私にはどうしても逃避が必要なのです
- 作者: 山口路子
- 出版社/メーカー: 中経出版
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