断捨離の扉が開いた①
一年半前に別のブログに書いた断捨離の記事です。
断捨離ができたおかげで2ヶ月前の引越しも楽だったし、新しい習慣を自分の生活に取り入れることもできました。
良いことづくめの断捨離。本当におすすめです。
★★★
いままで何度もトライした。そして失敗してきた。
自分にはもう無理なのかと思ったが、どうしても諦めきれずに、しつこく本だけは読んできた。
断捨離。この甘い響き。
「断つ」「捨てる」「離れる」というシンプルな考え方。
この本も読んだし
こっちも読んだ。
- 作者: 近藤麻理恵
- 出版社/メーカー: サンマーク出版
- 発売日: 2010/12/27
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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しかしうまくいかない。言ってることは確かに理解できるのだ。納得もするし、驚きもある。しかしなぜだか気持ちが続かなかった。
そんな悶々とした日々を過ごす中で、とうとう出会ってしまったのがこの本だ。
ぼくたちに、もうモノは必要ない。 - 断捨離からミニマリストへ -
- 作者: 佐々木典士
- 出版社/メーカー: ワニブックス
- 発売日: 2015/06/12
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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最初に読んでからまだ1ヶ月も経ってはいない。しかし僕の部屋はすでに見違えるように綺麗になった。
この本のおかげで捨てられた「モノ」を思い出してみる。
【洋服関係】・・・アンダーウェア、靴下を始め、Tシャツ、ボタンダウン、カットソー、上着、バッグ、ハンカチ。などなどで合計100アイテム。
【キッチン周り】・・・食器を始めとしたキッチングッズ、まな板、包丁、皮むき器とかスポンジ、ゴミのネット、箸、爪楊枝や調味料も全て捨てて合計150個くらい。
【本・CD・DVD】・・・これは随時処分していたのであまりやってない。合計200くらい。あと300は減らせる。
【棚や什器、ラック、衣類ケースとか】・・・3段BOXを2つ、一番大きいタイプのメタルラックを2基、扇風機、掃除機、ディフューザー、ランプを3つ、単品の収納ケースを4つ、ハンガーラック、ホットカーペット、電気ストーブ、その他小さな機器含めて30〜50基くらいだろうか。
その他にもたくさん捨てた。そしていまでも日々捨て続けている。
まだまだ終わらないが、近いうちに理想の分量まで減らせるだろう。現段階で2/5くらいだろうか。まだ半分にも満たない。しかし楽しい。確実に習慣化した。
ではなぜ「ぼくモノ」だけが、一気に僕を行動に駆り立てたのか。
その理由ははっきりしている。
ひとつは、モノを捨てるテクニックだけではなく、自分の考え方が変化する過程が私小説のように書かれているからだ。
主人公である著者の、肥大化したプライドや妄想、失敗、怠惰な生活が100ページほど続く。
あぁ…「ここに描かれているのは俺自身だ」と何度思ったことか。
例えばこんな記述。
僕は全てに対して言い訳をしていた。朝起きられないのは、夜遅くまで働いていたから。太っているのは体質のせい。満足でない給料のせいで広い部屋に引っ越せない。もっと恵まれた環境なら、僕も本気を出せるはずなのに。広い部屋じゃないからモノが散らかってもしょうがない。賃貸の部屋は自分のものでないから、掃除をしても仕方がない。広くて自分の部屋に住めさえしたら、ぼくもきっと片付けるはずだ。
ネガティヴの連鎖がループするばかり。
ないから、持ってないから、無理だから。
否定のオンパレード。そして決めゼリフは、
『条件さえ整えば、俺だって本気出るんだよ!!』
もう救いようがない。
そしてもうひとつ引用を。
僕たちは自分の現実が「理想とまったくかけ離れている」としばしば考えがちだ。自分が思った通りにならない現実を見て、自分は不幸だと考えてしまう。「欲しいモノを持ってない」という理想と違う現実を見て、僕は自分のことを不幸だと思っていた。
(中略)
しかし事態は全く逆だった。実はぼくの願いはすべて叶っていたし、欲しいものはすべて持っていた。
(中略)
服を例にあげよう。「着ていく服がない」と以前の僕もよく思っていた。休みを1日まるっきり買い物に費やし、ヘトヘトになりながらも手に入れたお気に入りの服。買い物から家に帰ると、鏡の前で1人だけのファッションショーの幕が上がる。翌日、新しい服を身につけて初めて出かけるときの、少しくすぐったいような、誇らしいような気持ち。クレジットカードで無理な支払いをしてまで、どうしても手に入れたいと願ったかもしれない。そんな願いが叶った服が山ほどあるのに、なぜそれを横目に見ながら「着る服がない」と毎年つぶやいてしまっていたのだろう?
本当にその通りだ。なぜトキメキを覚えたはずの服が、勝手にその価値を下げてるんだ?
まだ持っていないから不幸せ、というのは本当なのか?
そして著者が出した結論は当たり前のことだ。
答えは誰にでもわかる。ぼくたちは叶った願いに次第に「慣れ」たのだ。「慣れ」はだんだん「当たり前」のものになる。「当たり前」のものに、最終的に「飽き」てしまったのだ。
そうなのだ。すべては「慣れ」のせいなのだ。
買ったばかりのワンピースを初めて着るときは嬉しい。しかし5回も着ると「慣れ」てしまい喜びは減る。
10回着たら?50回着たら?
叶った願いの輝きは「慣れ」から始まり、「当たり前」の前提になる。
そして「飽き」という否定に行き着き、最終的にはつまらないモノになってしまう。
著者の考えは「慣れ」→「飽き」という仕組みのせいで余計なモノが増えるということ。
そして、自分の願いは叶っているのに、この仕組みがあるせいで、叶った願いに対して不満が募り、不幸を感じてしまうのだと続ける。
これは誰にでも共感してもらえるはずだ。
「当たり前」の状態ならまだマシだ。
しかし次の「飽き」の段階が諸悪の根源なのだ。
「飽きる」とは不要になることだ。不要なモノに価値はない、ガラクタ同然だろう。
ガラクタを抱えていても不満しか生産されない。不満→不幸のレールは自然すぎて説明は不要だ。
そしてここから「慣れ」の考察が始まる。
未来の感情は予測できない。ジャケットを10回目に着たときの喜びは想像できないはずだ。初めて着るときの気持ちは想像できても、10回目に着るときの慣れた気持ちや、1年後に着るときの飽きている気持ちも想像できない。
結局、人間が予測できる「未来の射程距離」は思っている以上に短いという事実。そこを考えてみようというメッセージがガツンと心に響いたのだ。
だから欲しいモノの中でも、実際に必要かどうかを考えて、必要だと言い切れるモノだけを所有しようと説く。
長々と書いてきたが、これは一例である。
最初の1・2章でモノが溜まる理由を考察し、次の3章では実際に、捨てる技術を解説つきで55個紹介している。
ここにもいろんなヒントがあるが、ページの端を折りまくっていて、どこを紹介したらいいか見当がつかないw
それほどシンクロした本だったのです。
次回は、断捨離に成功した僕の、気持ちと行動がどう変化したのかを書きたいと思います。