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老いを否定する

紅葉の季節になった。木の葉の色づきを眼にしてもなんの感慨もおぼえない、ずっとそんな秋だったのに、年嵩が増してくるにつれて、ふと道端に落ちた枯れ葉を部屋にもって帰るというようなこともするようになった。『朱』に魅かれるじぶんがいる。(鷲田清一『噛みきれない想い』)

 

先日、海辺に散歩した時にたくさんの枯れ葉が落ちて積もっていた。

 

『もう秋だよねー』などと会話しながら思うのは、どうして自分はこんな枯れ葉に心奪われているのかな?ということだ。

 

『歳とったからだよね、やっぱり』というセリフが落とし所で、事実そう言った気がする。

 

しかしその後が違った。一枚をふわりとつまみ上げ、しげしげとその佇まいを眺めて感慨に耽る、というようなことはしなかった。いきなり『クシャクシャッ』と枯れ葉の山を踏みしめて、その音を楽しみ始めたのだ。気づいたらそうしていたのだが、あまりにも意外な行動で驚いた。

 

細かく踏みしだかれた枯れ葉を尻目に、『いま一瞬、子ども心がやってきたかも』と思った。枯れ葉に反応したのは老齢に差し掛かった自分で、それを壊したのは子どもの自分。過去と未来が一直線上につながって、複数の自分を感じたのだ。一つの肉体に二人の自分が同時に宿ること。

 

それがあまりに新鮮で、その後もずっと考えている。なぜ自分は枯れ葉を手にとり眺めることをしなかったのか。

 

もしかしたら無意識に、老いを否定するアクションをとったのではないか。

 

だとしたら自分は老いることに反発しているのかもしれない。そう思った。

 

いずれにせよ、自分の中の子どもを確認したが、それは悪い気はしなかった。

 

次回はいつ顔を出すのだろう。そしてどんな行動をとるのか。

 

自分のことながら、それを楽しみにしている。

 

噛みきれない想い

噛みきれない想い