活動せよ、限界は引き延ばせる。
いやなことをするのは誰だって嫌だ。
しかし人生楽しいことばかりではなく、気が乗らないけどこなさなきゃいけないこと、辛くてしょうがないけどその時間をやり過ごさなければならない環境、歯を食いしばってでも耐えなきゃいけない状況などが必ずやってくる。
辛いことや耐えなきゃならない時には、吉本ばななの言葉を思い出すことで普段はしまってあるガッツを取り出し、それを乗り切るエネルギーに変えている。
いやなことをただいやいやしている状態というのと、いやなことのなかになんとか一個でも面白みを見つける状態は明らかに違う。前者は『停滞』であり、後者は『活動』 活動していないと人間は死んでしまう。心臓が活動しているからいま生きているわけで、活動は人間の原則だ。だから活動によって引き延ばせる限界を延ばすことが、人生の喜びなのだ。
少し長い引用になったけど、『停滞』『活動』『引き延ばす』というキーワードをフックにしてこのセンテンスを思い出す。
そして、ただいやなことを嫌々やっている状態にならないよう、意思の力で『活動』に持っていく。
体は、僕らのコントロール以前に、すでに活動してくれている。ならば意思も同じように活動的にしないとバランスが崩れる。
例えば職場の文句をいいながら働いているなら、さっさと辞めればいい。
いまの自分の状況を嘆きイライラしているなら変えればいい。
そこから脱出できない人は、考えることを怠っている、つまりは怠惰であるか、ガッツがない人だろう。
文句を言うだけで物事がうまくいくのなら、それは誰だってそうする。
しかし方法を『考える』か、ガッツで『乗り切る』かしか方法はない。
だから『活動』なのだ。活動していないと屍のようになってしまう。それは本来の自分が望んでいたものとは、はるかにかけ離れていないか?
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しかしその両方ともがうまくできない人もいる。
文句を言えず、イライラもせず、悲しみや諦めの方向に引きづられがちな人。
僕はスピリチュアルな思考を手に入れてからというもの、この『諦める』という選択肢が自分から消えているのに気づいた。
目には見えない効果を期待するのがスピリチュアル的な資質だと、いまは大雑把に定義させてもらおう。
そしてそれは『信じる』ことと似ているし、また同じともいえる。
この信じる力というのが、『諦め』に対してのストッパーとなることを知ったのだ。
未来は良い方に向かう。スピリチュアルの世界はそう語る。
そのために何をすべきか?
自分を知ろう。そして自分を認めよう。あとは自分を信じよう。
いろんな比喩や途中経過はあれど、構造はこれだ。
自分の知り方、認め方、信じ方…
その具体的な方法がスピリチュアルの世界にはあるのだ。
活動的に生きること。そして諦めないこと。
その補助線になるのがスピリチュアルだったりする。
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吉本ばななの言葉に戻る。
限界は引き延ばせる。
いやなことの中にも、面白いことを見つけようという努力によって。
僕のように、言葉に力をもらってガッツを出すことによって。
そしてスピリチュアルの考えを借りて、自分を信じることによって。
昨日、偶然にセッションすることになった人は、こころの底に諦めたくないという気持ちを抱えながらも、行動が起こせずに縮こまっていた。力尽きるのも時間の問題だったと思う。
しかし何の偶然か、その人が僕を『引き寄せ』、自分のトラブルを解決するための意見を『引き出し』、これからの自分の展開を期待する気持ちを『生み出した』。これらは全て、彼の最後の『活動』がもたらしたものだ。
人生には驚くようなことが多々起こる。
それでも活動的に生きていくことで、新しい局面を引き寄せることができる。
だから前を向いて行こう。未来は、信じることでいくらでも変わっていくのだから。