愛してるの響きだけで
誰かを愛したとき、どんなに辛い現実にさいなまされていたとしても、人は可愛らしく温かい存在へ瞬時に変わることができる。そんな可能性を人間はみんな持っていて、芽をだす瞬間を静かに待っているのだ。
(猫沢エミ『パリ通信』)
人を好きになって愛情を抱いて、ジリジリと気持ちが発酵していく感じは、何度体験しても甘美な不思議さがある。
具体的に距離が近づいて、触れるか触れないかの数センチに到達した時の高揚感と、あと少しでも感情に風が吹いたらその壁を越えてしまうという恐怖感はスリリングかつ熱い。
恋愛は相手に何かしら依存することであり、めんどくささを引き受けることでもある。
恋人同士と夫婦ではまた違うが、それでも、素手で心に触れることが許されている。冷たい手で相手の心に触れるのは失礼だ。手を温めておかなければならないのだ。
温かい存在に瞬時に変われる。どんなに辛いときでも。それは相手に対する思いが優しさに変わるからで、優しさが舞台に上がると、一気に場の空気が温かくなる。その瞬間、辛い現実は隅に追いやられる。
人を愛するという不思議。これにはいつまでたっても慣れることはない。僕らは何度も、温かい存在へと変わることができる。
それは喜ばしいことではないだろうか。