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コックピットを改装できる日をめざして

自分の人生がゴミ捨て場のように見えたときに、そのゴミをより分けて土を掘り起こし、自然の肥料すべてを使って花を植えるかどうかは、私しだいなのだ。
(アン・ウィルソン・シェフ)


嫌な記憶、トラウマ、不幸な経験…あいつらはいつだって突然に襲ってくる。


自分の知らない、気づかないところで、人生がうまくいきそうな時に限って急ブレーキを踏む。


『お前が幸せになるなんてまだ早いでしょ?つか無理でしょ?だってあんなに不幸のシャワーでコーティングしてんだから。はやく諦めて、不幸せのぬるま湯に浸かってな。そこがお似合いなんだから。』


おそらく無意識がそう誘導している。


自分の中にコックピットは二つあって、一つは自分、もう一つには『あいつ』が座っている。


自分が加速しようとアクセルを踏めば、『あいつ』はブレーキを踏む。車体は不自然に揺れ、お尻を振りながら蛇行し、カーブを曲がるところで急ブレーキを踏み間一髪。


『ああ、死ぬとこだった…』


そして思うのは、『やっぱりあたしには無理だったんだ。分不相応だった。奇跡なんかないや。たとえあったとしても、あたしの元にはやってこないんだ…』というふり出しに戻ること。


『あいつさえいなければ…』


そう思うのは当然だが、『あいつ』もあなたの一部なので、完全に抹殺することはできない。どうせ消せないのなら認めることだ。


コックピットに『あいつ』が座ったのがわかったら『シートベルトは閉めた?今日は安全運転でいくからね』と配慮してやればいい。配慮することは認めることと同義だ。


逆らうから反発するのだ。消したいと思うから意地でも居座る。そしてアピールしてくるのだ。


いつも同じような恋愛で失敗する。他人とのコミュニケーションでつまづく。お金を手に入れてもそれを有効活用できずに蕩尽してしまう…


『あいつ』はあなたのそんな嫌な側面を担っている。忘れないようにブレーキをかけ続ける。なぜ同じ自分なのにそうなるのか?


それは自分が傷つかないようにするためだ。新しい世界に飛び込んで失敗しないためだ(上手くいく可能性もあるのに!)


だからそんな『あいつ』と早く手を組んでしまうのが望ましい。


それはめちゃくちゃ辛いことだ。


自分の中から排除したい分身と手を組むのだ、いやでも『あいつ』の存在感は増し、『あいつ』が担ってきた過去の不幸を追体験することになる。


しかし手を組むには相互理解が必要だ。


ならば早く着手したほうがいい。見ないようにしていても、『あいつ』はそこにいる。勝手にいなくなることはないのだから。


僕自身も過去の家庭環境に引きづられて、かなりのチャンスを逃してきた。


誰かを幸せにするチャンス、誰かに感謝するチャンス、社会の中で活躍するチャンス、新しい命を育てるチャンス…


だからスピリチュアルの力を借りて、徹底的に『あいつ』と向かいあった。嫌だったし辛かったし、人知れず泣いたりわめいたりもした。


そしてわかったのは、『あいつ』はツンデレ野郎だということだ。


『綺麗な景色を見に行こうぜ!』と『あいつ』は好奇心をあおる。よし!とその気になって出ていき、吊り橋の上でバシバシ写真なんか撮って、新鮮な空気を味わい、目を潤す。


すると突然『あいつ』は出てきて、僕の腰にフックをかけ、吊り橋を破壊する。腰につけた命綱のおかげで、僕は間一髪助かるのだが、そこで奴は言う。


『だから言っただろ?お前はそんな器じゃないんだって。さて元のお家に帰ろうか。』


上手くいきそうになるとつれ戻す。ツンデレというかDV野郎だ。


しかしそんなDV野郎は僕を殴りつけながらも殺さないのだ。餓死させることもなく、端からは『素敵なご主人さんね』なんて言われてしまう。


『いやそんなことないですよ、暴力夫だし、いちいち足引っ張るんですよ。』


と言っても、『あらあらお冗談を。だって毎日ニコニコしてて楽しそうじゃない。』なんて返されるのがオチだ。違う、そうじゃない!普段は『あいつ』が顔を出さないからだよ!もう半分の俺は好景気みたいな明るさで人生を堪能できてんのね、でもこれは半分なんだよ!と伝えたいのだがそんな余裕は与えず立ち去ってしまう。


だからそんな『あいつ=過去の不幸』を全て肯定してやるのだ。


ひとつ肯定してやれば『あいつ』は『ん?なんかいつもと違うぞ』となる。その隙に『あいつ』のポケットに花の種を忍ばす。


いろんな人の助けや知恵を借りて、早く種を発芽させ、『あいつ』を花で満たしてやる。


『あいつ』が花まみれになって色づき始めたらそのまま進む。


そしていつか二つあるコックピットを改装してひとつにできるはずだ。


そしたらあなたは、そして僕は、混じり気のない純粋な生を生きることができるだろう。


ゴミ捨て場から花畑へ。どんな土壌であっても花は咲くのだ。


いまこの瞬間から作業は始まっている。


いつの日か、色あせた写真を見ながら、『こんなに汚い場所だったんだね。でも昔の話だね。』なんて語り合うことができるだろう。その話を横でニコニコしながら聞いてくれるのは、あなたにとってどんな大切な人だろうか。

 

つい頑張りすぎる女性のための本―あるがままの自分と向き合う366日

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