軽装だっていいじゃない

高度に情報化した社会には、読み応えのあるアウトドア雑誌のような可笑しさがある。さっさと出かければいいのに、その前に美しい自然の写真を眺め、他人の旅の逸話に目を通して、豊富な二次情報を摂取する。普段着でも山歩きはできるのに、間違いのないウェアやギア選びに時間をかけたり。

(西村佳哲『自分をいかして生きる』)


何が欲しいの?何がしたいの?どうなれば幸せなの?


悩み相談を受けていると、『自分がどういう状態になりたいのかわからない』ひとが一定の割合でやってくる。


いまが幸せでないことだけはわかっている。でもこれがあれば!という決定打が思いつかないのだ。


興味のあることは何でもやってみたら?
人のオススメに従ってみたら?
少しでも心が動いたら飛び込んでみたら?


などなど、様々なアドバイスをしてみるが、うーんと考え込むだけで、実際のアクションには至らないことが多い。そして占いジプシー、狭い机の上をさまよい続けることになる。


答えを探すことって、止まったままではできない。机上の空論はあくまでも空論であって、実際に体験してみてわかることは多々ある。体験は自分の想像力を超えて素晴らしい結果をもたらす確率が高い。


小さく体験して、小さく心を動かす。その動力がまた新たな好奇心を生み、また小さく心が動く。それを繰り返していくことで、好奇心は雪だるまのように大きくなり、自分を楽しませる出来事への『直感力』が身についていく。


僕がオポノポノを実践したのだってちょっとした気まぐれだったはずだ。現にきっかけを思い出そうとしても無理、すでに忘れてしまった。このブログのどこかに書いてあるかもしれないけれど。


しかしそんな気まぐれに始めたオポノポノのおかげで、怒りを覚える回数は少なくなり、自分の感情に敏感になり、人の話を聞くことに抵抗がなくなった。自分のセッションに取り入れ、効果のほどもわかったし、クライアントさんにも喜んでもらえている。まさに雪だるまだ。


さらには、いまのパートナーとのコミュニケーションツールとしても使っている。


毎朝起きたら、オポノポノの言葉の最後に、宣言文をつけてラインで送るのだ。


例えば今日の宣言文はこんな感じである。


【パートナーの宣言文】
ありがとうございます
ごめんなさい
ゆるしてください
愛しています

わたしはひとが与えてくれる愛をちゃんと受け取ります。そして男性性と女性性のバランスが取れるように心掛けます。


【僕の宣言文】
ごめんなさい
許してください
ありがとうございます
愛しています

根ざすことは停滞ではなく、新しい枝葉を伸ばすために必要なこと。それを意識して今日も頑張ります。


別に素晴らしい内容であるとか、互いのメッセージから何か気づきを得るとか、そんなことは関係ない。


ほぼ直感で書いて相手に知らせる。ただそれだけ。


でも毎日というところがミソで、知らぬ間に相手の言葉が自分に入っている。顔を見ることで相手の調子の良し悪しがわかるように、宣言の内容で相手の調子がわかってくる。


1日1日は小さく心を動かしているだけなのだが、積もってくると大きく心が動いているのがわかる。心の面積が広がって、相手に対する理解度が深まっていることに気づくのだ。しかもラインだから遡って読める。そして豊かな気持ちになる。相手への共感度が補強される。相手の心の動きを辿ることができるってすごいと思いませんか?ライン万歳!です。吹き出しがリアリティを増すしね。


小さくアクションすることは軽装で出かけることに似ている。


軽装ゆえに、ちょっと寒いな、やっぱりコートが必要だったかな?なんて思うかもしれないが、出かけたおかげで綺麗な夕暮れに出会うこともまたあるだろう。


大切なのは出かけることなのだ。それはどんな理由であれ、またどんな格好であれ、とにかくいいことなのだ。


旅でもなく旅行でもなく散歩でもなく。ドアの外に片足を出すだけ。


ここからあなたの幸せが始まるのです。

 

自分をいかして生きる (ちくま文庫)

自分をいかして生きる (ちくま文庫)