それでも世界を変えたいなんて思うのは、少しあつかましいか?

それでも
世界を変えたいなんて
思うのは
少しあつかましいか

藤井一彦『LAZY FELLOW』

 

自分を見失う瞬間の原因は、酒か女か金か、が一般的だろう。理性は吹っ飛んでしまい、抵抗できない魅力に絡め取られて半ば自暴自棄、あとは野となれ山となれ、だ。


ある種の陶酔を含むそんな時間には人の本音が出やすいもので、それまでとはうって変わった人格を人前に晒すことになる。


先日パートナーの誕生会をやった時、カラオケのパーティールームにあるマイクスタンドにしがみついて酔っ払いの僕は叫んでいた。


『世界の悲しみを減らすために俺らはいるんだよ!だから悲しんでいる人がいたら素通りすんなよ!』


何て世間知らずの青くさいセリフだろう。40歳も半ばに差し掛かって俺は何を叫んでいるのか。翌日パートナーから聞いて恥ずかしくなった。


と同時に、よかったという安堵感も覚えた。カウンセラーとしての自分の立ち位置がはっきりと、心の奥底まで一本のメッセージとして貫けている証明のようなセリフだったから。


セラピスト3人でのパーティーだったからついそんなセリフが出たのだろう。


素通りしない。見て見ぬふりをしない。


大人の面倒くささを引き受けながら、子どもみたいにシンプルなことを追求すること。


たった一人でもいい。それが誰かの役に立つことを願いつつ。