好きのチカラ
一見めんどくさいと思うような、日常の中にある作業だが、それを楽しめたなら一気に価値は逆転する。『好きの力』って素晴らしい。(田口ランディ)
形も色も不揃いな野菜たちを並べる。キュウリ、赤玉ねぎ、パプリカ、ミニトマト、セロリにブラックオリーブ、レタス、レモン。
イスラエルサラダを作るために、どんどん刻んでいく。ダイス状に色が分割され、ボウルの中で混ざり合い、絶妙な色味を出現させる。
めんどくさければできあいのサラダを買ってもいいのだ、美味しいものもたくさんあるし。
でもサラダに関してはなるべく作るようにしている。どんなに手間がかかってもオッケーだ。
本当ならめんどくさいはずの料理だけど、野菜たちを刻みはじめると、そのめんどくささはいつの間にか消え、楽しくなってくる。
タンッタンッと小気味好い音を立ててカットされるキュウリやパプリカ。ナイフを二、三度前後させ切れ目を入れてから一気に引いてカットされるミニトマト。包丁の先端を軽く当て、5ミリ幅で振り子のように刻んでいくセロリのサクッという手ごたえ。
こうなると、様々な印象を与えてくれる料理というものは、もはや作業ではなく、創造と組み立てだ。そこには『なるべくいいものを作りたい』という欲望が宿っている。
それを何度か繰り返していくと、料理すること自体が好きになってくる。小さな感覚の寄せ集めが大きな満足につながってくる。
そして、人に食べさせるために作る時はさらに新しい感情が宿る。『なるべくきれいに、なるべく丁寧に』作りたいという気分が生まれる。
いつもは『ザクザク』切っている野菜も、『そろそろっと』刃を入れる。サッと洗うところをサーッ、サーッっと複数回洗う。丁寧な気持ちをひとつひとつの行動にこめていく。
そこにもめんどくささは感じないのだ。ただ楽しい時間を過ごしている、のみだ。
料理に限らず、作業を作業のまま放っておくと、自分の感情はそこに留まり続ける。めんどくさい村でめんどくさい時間を費やすしかない。それをいかに喜びに変えていくか。
生きていれば一定時間必ずやる必要がある些事のあれこれ。
好きになる力を信じて、創意工夫していきましょうね。
作業中というのは、実はたくさんの感情が揺れ動いている。そのひとつひとつを丁寧に感じていくと、好きになる要素が見つかったりします。
早く、ではなくゆっくりと。時間の肌理を味わうように。