自分へのダメ出しが他人に向かってないか?

人生における成長は、好むと好まざるとにかかわらず、今のあなたを土台にしている。

振り出しに戻ることはできない。

従って、あるがままのあなたを受け入れ、そこから始めることだ。

(リチャード・ブロディ『夢をかなえる一番よい方法』)

 

今の自分を認めることから始めよう。

 

くよくよしがちな自分、怒りっぽい自分、すぐ人のせいにする自分…などのマイナス面。

 

よく笑う、人の輪が好き、好奇心旺盛、粘り強い…なんていうプラスの面。

 

そのどちらもがあなたという人間の土台である。

 

うまく行かない時は、ついマイナス面に意識が向い、『だからダメなんだよなー』となりがちだ。

 

そう思う時、あなたのプラス面は忘れ去られていて、ネガティヴの陰に隠されているそれに気がつかない。

 

自分の良い面が、悪い面を隠してくれたり補ったりするし、その逆もしかりだ。

 

だから一度、まるごと自分を認めてしまおう。これが自分だ!とノートに書きつけてもいい。

 

それが『変わりたい』と願うあなたの地図になる。

 

本当の意味で自分を受け入れるようになれると、確実に変化が起こる。

 

人の振る舞いにイライラしなくなるのだ。

 

自分の感情が人の行動で乱される。嫌な気分が心を支配し、気が散って、最良のパフォーマンスが発揮できなくなる。

 

そんなダメな時間も自分の地図には履歴を残してしまう。

 

対人関係での悩みは、自分の思い過ごしであることが多い。相手が何も思ってないのに、些細な一言を大げさに解釈して嫌な気分になるのはよくあることで、その原因は自分にある。

 

自分を認めていないと、人に向けてジャッジしがちだ。自分に対してダメ出しをし続けるのにはエネルギーがいるから、無意識は、それを人に向けることで心の負荷を軽くしている。

 

自分を認めていれば、逆の効果がある。理屈的には納得してなくとも、『確かに、あなたにはあなたの都合や感情があるよねー。』と一呼吸おくことができるのだ。

 

良い面もダメな面も受け入れる。そして一度自分を完全に認めた上で、どう変わりたいか軌道修正していく。

 

それを繰り返していくと、かかる労力は次第に少なくなってくる。習慣になって自動操縦のレベルまで行ければ、1日の充実感も変わってくるはずだ。

 

勇気を出して今の自分を認めましょう。

 

未来はいつからでも変えられるのですから。

 

 

 

夢をかなえる一番よい方法

夢をかなえる一番よい方法

 

 

 

 

 

 

 

前向きな悩みを作っていく

まず自分をつまらなくしてるのは、会社。

そこで同じ会社に好きな人をわざと作る。すると日曜日の夕方以降は『早く会社に行きたいな!』なんて。ついウキウキする効果が。

まして会社に何を着ていこうかと、『前向きに悩めること』これが大きい。

(齋藤薫『ちょっと過激な幸福論』)

 

これは身に覚えがありますね。若い頃、バイト先に好きな人がいましたが、良く見られたい、自分を好きになってもらいたいと努力してた日を思い出しました。店長は威張り散らしていたし、仕事もこき使われるだけでクソでした。でも喜んでバイトに行っていたのは恋のなせるわざですね。なんて単純なのでしょう。

 

仕事が100%大好き!仕事ラブ!

そんな方はさておき、大抵の人はどこか仕事や仕事場に不満を持っているでしょう。

 

でも働かなくては生きていけないし、今すぐ自分が納得する仕事を手に入れることも難しい。

 

悩ましいことこの上ないです。ため息といら立ちで満員電車に揺られていると、『自分は何のために生まれてきたんだよ…』と悪態の一つもつきたくなってしまいます。

 

ただ、どんな理由であれ嫌なことを長く続けていくと人はくすんでいきます。見た目も心も下降の一途を辿り、自分でも気づかないところで不満が漏れ出てしまう。これではいけません。

 

『全ては自分のとらえ方しだい』

 

身もふたもない言い方ですが、結局はこれです。『少しでもいいからこの心の負担が軽くなればいいなぁ。』と待っていてもしょうがない。自分から動き出しましょう。

 

少しでも負担が軽くなり、やがては負担を感じなくなる。今まで気になっていたことが気にならなくなり、少しづつ『楽しい、かな?』と思える時間ぎ増えていく。

 

能動的に動いて行けば、良くなりこそすれ悪くなることはないでしょう。

 

知恵を絞って、いろいろ工夫して。嫌だ嫌だの後ろ向きな悩みを減らして、前向きな悩みを作っていきましょう。

 

しかし何と言っても『恋心が芽生える』のが一番早いんですけどね。日常が一気にキラキラしてきますから。まあそれはそれとして。

 

みなさん頑張りましょうね。僕も同じ悩みはあったけど、少しづつ改善できました。

 

待つより動いたほうが得ですよ!

 

 

 

ちょっと過激な幸福論

ちょっと過激な幸福論

 
女のひとを楽にする本―はたちからの生き方とレシピ

女のひとを楽にする本―はたちからの生き方とレシピ

 
こころを凛とする196の言葉 (ブルームブックス)

こころを凛とする196の言葉 (ブルームブックス)

 

 

 

 

感謝の頻度

引っ越しをして3ヶ月経った。新しい街にも慣れてきて、便利や不便のあれこれがわかった頃ふと思う。最近感謝が足りないかも。

 

前に住んでた場所は近くに神社があって、散歩がてらに行くことができた。三ヶ所あったので、その時の気分や空いている時間に合わせて選んでいた。

 

新しい場所にも神社はあるが、微妙な距離なので、引っ越し直後に二、三回行ったきりである。

 

神社に行くと無条件に感謝の気持ちがわいてくる。その時がどんな状況であれ、『とりあえずこうやって生きていられます、ありがとう』くらいのセリフが勝手に口をつくのです。

 

少なくとも週に一回は行っていたので、定期的に感謝を捧げるベースができていました。それがなくなったので、最近は感謝が足りないと思ったのでしょう。

 

いろいろ考えていたら、毎日の食事を忘れていたことに気づきました。そうだこれだ!と膝を打ちました。

 

働いてお金を稼ぎ、たくさんの選択肢の中から自分の好きなものを美味しく食べられる環境。

 

これこそ感謝すべきベースにぴったりだと思います。

 

子どもの頃は『いただきます』と必ず言ってたのに、大人になるにつれ言う頻度は少なくなる。それが恥ずかしさによるものか別の理由かはわからないけれど、とにかく言う回数は減っているのだから、それを元に戻すこと。

 

人前で言うのが難しいければ心の中で言えばいい。

 

『今日こうやって食事ができることに感謝いたします。』

 

このセリフとともに、気持ちも込めて感謝をする。

 

感謝は陽の感情で、怒りや不安は負の感情だから、感謝が足りないと攻撃的になってしまいがち。

 

それを防ぐためにも、小さな感謝でいいので、たくさんしていくこと。それが大切だと思いました。

 

自分を作る習慣

外側の変化で刺激を求めたくなる気持ちをぐっとこらえて、『大切なことはルーティーンにある』という事実を学びとること。

(松浦弥太郎『幸せをうむ小さな種』)

 

断捨離をしてからというもの、今までほとんどしなかった掃除をするようになり、使った物はを所定の位置に戻すようになった。

 

物が減ったため床面積は広がり、掃除もすぐ済むのですぐに習慣になり、室内でもテキパキと動くことができている。

 

すっきりとした室内を見るのは気持ちいい。この流れを崩さないように、いつも気に留めていようと思った。

 

それからしばらく経つと、このルーティーンが心地よいと思い始めた。習慣化しているので作業もスムーズだ。『いつもの流れで室内を動いているだけで部屋がきれいになった』体験は断捨離の賜物で、今までに味わったことのない感覚だ。とても気持ちいい。

 

掃除を始めとしたルーティーンが日常の中に増えていく。今までルーティーンワークなんて大嫌いだったが、『100%自分のためになる』このルーティーンを歓迎したい。

 

毎日の食事や運動が肉体を変化させていくように、日々のルーティーンがしなやかな心を作っていく。

 

さあ今日もサクッと掃除を済ませて、清々しい気持ちで1日を始めよう。

 

 

しあわせを生む小さな種 今日のベリーグッド

しあわせを生む小さな種 今日のベリーグッド

 

 

 

My Favorite Things【1】ドライフラワー

f:id:bookshelfind:20170314065454j:image

 

 好きなものは多々あれど、そのひとつひとつについて真剣に考えたことは今までなかった気がします。

 

断捨離をしてからというもの、残った物への愛着が深くなりました。

 

10年単位で愛用している物もあるし、同じものを買い直して使っていたりもする。長年の相棒のようなアイテムたちを紹介してみたくなりました。

 

また、物だけではなく、環境や食事、考え方など、今の自分を構成しているものの源泉をたどりたいという気持ちもあります。

 

ゆるゆると買いていきますので、最後までお付き合いいただければ嬉しいです。

 

 

枯れてもなお美しく

ドライフラワーの魅力はこれにつきますね。文字通り、『もうひと花咲かせる』みたいな。二度目の開花が永遠に残り、その印象を固定させる。何だか人の終わりと似ています。

 

40歳を越えてから花に興味を持ち、常に飾っておくようになりました。

 

枯れては新しい花を飾るの繰り返しで、行きつけの花屋がその時おすすめしてるものを買っていました。

 

花が一輪あるだけでも部屋の印象が変わります。特に好きだったのが大輪の百合。徐々に開いていく過程そのものがセクシーで女性的。買う頻度が最も多かったです。

 

 

時間を止める

一年くらい前にドライフラワーの存在を知りました。その時は何も感じず、そのまま忘れていましたが、去年引っ越しをした時にいただいたドライフラワーを室内に飾ってからというもの、一気に夢中になったのです。

 

水分の抜けた花や草木が、みずみずしく青々しい頃とは別の美しさをかもし出す。

 

そんなドライフラワーを眺めていると、時間が止まったような錯覚を覚えます。元々の半分以下に圧縮された花や、それぞれが別々の丸まりかたで複雑な印象を与える葉、枝のしなり具合など、細部をつぶさに観察したくなる。

 

 

自然が室内から伸びていく

いま住んでいる場所は小田原なのですが、窓の外には適度な自然が広がっています。

 

遠くには足柄の山々や富士山が見え、絶景とまでは言わずとも、一人暮らしを始めてから住んだ部屋の中では間違いなく一番の景色です。

 

写真には無いのですが、その窓のカーテンレールにもたくさんのドライフラワーを吊るしています。

 

ドライフラワー越しに遠くの山々を眺めていると、自然が室内に侵食してような、もしくは室内を起点にして外に自然が伸びていくような気分になります。ドライフラワーの存在感、青空、遠くの山々の力強い立体感。それらが視線の直線上に並んだ満足感は半端ないです。

 

そのおかげでしょうか、朝の清々しさも五割増しになりました。

 

どこまで増えていくのかは未知数ですが、増えるごとに違う楽しみを与えてくれそうで、日々のささやかな幸せとなっているのです。

 

 

ドライフラワー図鑑

ドライフラワー図鑑

 

 

 

されるよりするほうを

ぼくの仕事は俳優だから、よくひとから拍手される。でも、拍手されるより、拍手するほうが、ずっと心がゆたかになる。

(高倉健『南極のペンギン』)

 

人の注目を浴びて喝采を得る。もしくは素晴らしい出来事に対して喝采を送る。

 

賛辞を送る側にも、それを受け取る側にも、混じり気のない感謝がある。

 

拍手を感謝と置き換えれば、有名人でもない自分にもその真意がよくわかる。

 

たくさんの感謝を集めるよりも、たくさんの感謝をする側に立ちたい。そしてそれは自分の心がけ次第で、いくらでも頻度が増やせる。

 

感謝してる時って間違いなく幸せだ。

 

たくさんの拍手を、感謝を、幸せだというメッセージを、自分から発信していきたい。

 

人生のシンプルな骨組みはここにある。

 

 

少年時代

少年時代

 
あなたに褒められたくて (集英社文庫)

あなたに褒められたくて (集英社文庫)

 
南極のペンギン (集英社文庫)

南極のペンギン (集英社文庫)

 

 

 

 

 

 

 

『どうにもならないこと』と『どうにかなること』

不幸な家庭環境で育ったということは『どうにもならないこと』です。それを嘆いていてもしょうがありません。

でも、だから自分に自信がなく、自分を愛することができず、自分を否定してしまうことは、『どうにもならないこと』ではありません。

それは『どうにかなること』です。

(鴻上尚史『幸福のレッスン』)

 

僕はずっと自分の家族を恨んで生きていました。

 

自分を捨てて家を出ていった母親、引き取ったにもかかわらず自分で育てられず、結果放置した父親、その両方を恨んで大人になりました。

 

大人になってからは父親とも疎遠になり、その行方は祖母が入る不確定な情報から、その断片を知るのみでした。

 

僕は18歳で家を出ましたが、それまでに何人もの『新しいお母さん』を紹介されました。

 

当時は祖母が僕の面倒を見てくれていて、祖母と叔母さん、そして一つ下の弟の4人で暮らしていました。

 

新しい母親ができたのなら、普通は僕ら2人を引き取り、新しい家族として一緒に生活を始めるはずです。

 

しかし父親はそうしませんでした。紹介だけしたらまた去っていきました。名ばかりの母親は、授業参観にも来ず、年末年始にもいない、幻の母親でした。

 

2人、3人、4人と新しい母親は増えていきました。最終的に父親は誰ともうまくいかず、現在は結果1人で、かろうじて生きています。

 

数年前に老いた父親と会う機会がありました。年始に実家に帰ろうとしたら、父親も帰省していたのです。

 

駅まで迎えに父親はあきらかに酔っていました。幼い頃に、酔ったアル中の父親がビール瓶を投げた光景が蘇り、一瞬だけあの恐怖感を覚えた気がしますが、気づけば僕は怒鳴り散らしていました。

 

みすぼらしい格好で、呂律も回らず、据わった眼で気持ち悪い笑みを浮かべながらヘラヘラと近づいてきた父親がどうしても許せず、突発的に怒りをブチまけたのです。

 

父親は謝ることもせず、『勝手にしろ』とだけ言い、引き返していきました。その後なんども祖母や叔母さんから連絡がきましたが、ついに戻ることはせず、そのまま帰りました。悔しくて泣きそうでした。『またあいつが全てをぶち壊した。』僕の恨みは強化されました。

 

怒りも恨みも、結果世界にはね返され、自分がダメージを食らう。当時そんなことを知らなかった自分は、徹底的に自分を傷つけていたのです。傷つけられた自分が得た正当な怒りが自分をも傷つけるなんて、何て理不尽なのだろう。そんなふうにも思いますが、『起こった出来事に対して、どこまで許せるか』が生きることの真実なのかもしれません。

 

それから数年経って、人の悩みを聞く仕事を始め、その過程で昔勉強していた心理学を学び直し、コーチングのスキルも身につけ、スピリチュアルの世界に片足を突っ込みました。

 

そんな中でわかったことがありました。それは『父親の人生と僕の人生を分けてもいい』ということ。家族でありながらも、別々。父親の人生は父親のもので、僕の人生は僕のものだから、一切口を出させないし翻弄されない。

 

家族という強固な血の繋がりは強迫観念となり、僕の潜在意識に刷り込まれていました。その呪縛に亀裂が入ったのです。

 

それからは少しづつ、父親と母親について思いを巡らす機会が増えていきました。父親の『ち』の字も想像したくなかったのにです。

 

なぜ母親は僕を捨てたのか、どうして父親は、新しい家族で新しい生活を始めなかったのか。

 

未だに完全な結論は出ていませんが、分けて考えることで、『彼らには彼らなりの理由があったのだろう』というところまで受け入れることができました。

 

自分の人生を振り返ってみても、止むに止まれずとった行動が誰かを傷つけることもあったでしょう。安易な考えで言ったセリフで取り返しのつかないことになったり、間違った選択をしたせいで自爆したりもあったと思います。つまりは人間は誰しもが失敗するのです。それが自分の父親や母親であっても。

 

『どうにもならないこと』は誰にでも降ってきます。しかしその大きなダメージの中にも、『どうにかなること』の種は潜んでいます。そこを丁寧に探っていくことで、やがては相手も自分も許せるようになり、傷つくこと、傷つけることの拡大被害を防げるのだろう。そう今は確信しているのです。

 

 

幸福のレッスン

幸福のレッスン

 

 

 

孤独と不安のレッスン (だいわ文庫)

孤独と不安のレッスン (だいわ文庫)

 
あなたの魅力を演出するちょっとしたヒント (講談社文庫)

あなたの魅力を演出するちょっとしたヒント (講談社文庫)

 
コミュニケイションのレッスン (だいわ文庫)

コミュニケイションのレッスン (だいわ文庫)